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ソーラーパネルはいつから普及したの?太陽光発電の歴史とは

太陽光発電は、エコでクリーンなエネルギーとして、注目を集めています。2022年9月には東京都で、新築住宅への太陽光発電パネルの設置義務化について、方針が固められました。
今でこそ、生活に密着している太陽光発電ですが、その歴史に関しては、意外と知られていません。
そこで今回は、太陽光発電の歴史を紐解いていきます。太陽光発電の誕生についてや、ソーラーパネル普及のキッカケについても詳しく解説していきます。

太陽電池の発明と誕生

太陽光発電のスタートは、光に当てると電気が発生する「太陽電池」の登場です。
ここでは、太陽電池の発明や、その発展について解説していきます。

1839年、「光起電力効果」の発見


太陽光発電の原型となる、太陽電池の発明は約200年前にさかのぼります。
1839年、フランスの学者、アレクサンドル・エドモン・ベクレルが金属板に光を当てると電気が発生する「光起電力効果」を発見したことがきっかけとなります。
光起電力効果を活用し、異なる2つの半導体をつなぎ合わせることで、プラス・マイナスの電子が発生することが分かりました。

1954年、太陽電池の発明


その44年後、1883年にアメリカ人のチャールズフリッツが、太陽電池の原型となる「光電池」を開発しました。
そして1954年、アメリカのベル研究所にて、世界で初めてシリコン製の太陽電池が発明されました。
この太陽電池は、1958年にアメリカが打ち上げた人工衛星「ヴァンガード1号」に搭載され、初めて実用化されました。
その前年に打ち上げられた人工衛星は、わずか3週間で電池が切れてしまいましたが、ヴァンガード1号は太陽電池により、6年以上の活動を続けることができたといいます。
太陽電池はこの後も宇宙開発において大きく貢献しており、20世紀においても最も偉大な発明の一つであるとされています。

太陽光発電が日本で普及するまでの流れ

世界に先駆けて、アメリカで生まれた太陽電池ですが、日本で太陽光発電が普及した流れは、どのようなものだったのでしょうか。
ここでは、太陽電池の日本での登場から、太陽光発電が日本で普及したキッカケ、その後の流れまで解説していきます。

1955年、国内発の太陽電池の製造


アメリカではじめて太陽電池が発明された翌年、1955年には日本でも国産メーカーによる国内初の太陽電池が製造されています。
しかし、メンテナンス費用が高額であることや、サイズの割に電池の持ちが悪いなど、メリットが少なかったため、長い間実用化には至りませんでした。

1973年、第一次オイルショック


再び太陽電池が注目されたのは、1973年の第一次オイルショックの時です。
当時、発電に使う燃料のほとんどをアラブ諸国からの石油輸入に頼り切っていた日本は、原油価格の高騰により、経済的な大打撃を受けました。その際、太陽光エネルギーの実用化が本格的な課題として挙がりました。

1974年、「サンシャイン計画」の策定


オイルショックの翌年である1974年、日本政府は「サンシャイン計画」を打ち出しました。この中で、新しいエネルギーの技術開発計画として、風力発電、地熱エネルギー、そして太陽光発電が取り上げられています。
限りある資源への依存から脱却し、再生可能エネルギーの活用へ舵を切った日本政府は、専門の技術研究分野に対し、1975年~1992年までの間に約4400億円の予算を投じました。
これにより、太陽光発電の実用化に向けて、大きく技術革新が進むことになりました。エネルギーの使用量を抑える「省エネルギー(省エネ)」という言葉が一般的に使われるようになったのも、この頃です。
一時期は原子力発電への開発へと比重が傾きましたが、第二次オイルショックの1979年に、再生可能エネルギーの重要性が再認識されることとなりました。

住宅用太陽光発電が普及したきっかけ

大きな予算をかけて太陽光発電の実用化に向けた研究が進みましたが、この時点で普及していたのは産業用の太陽光発電のみでした。
ここでは、住宅用の太陽光発電が一般家庭まで普及したきっかけについて解説していきます。

1992年、「ニューサンシャイン計画」


1992年には、「ニューサンシャイン計画」が策定されました。
1974年の「サンシャイン計画」では「エネルギー供給源」についての課題がメインでしたが、ニューサンシャイン計画では、より環境保護の色を強めたものになりました。
様々な再生可能エネルギーの中でも、太陽光発電システムの普及促進のスピードは目覚ましく、エコなエネルギーに対する世間の興味関心も強くなりました。

1993年、住宅用太陽光発電システムの登場


1993年には待望の住宅用太陽光発電システムが登場しました。
しかし、その発電コストは高く、4kWでおおよそ1,500万円という巨額な費用がかかりました。
折しもバブル崩壊直後というタイミングも重なり、一般家庭への導入は非常に高いハードルがありました

1994年、補助金制度のスタート


政府は、1994年に初めて住宅用太陽光発電システムの導入に対する補助金制度を設けました。これと同時に、企業側の技術革新も進み、導入コストは低下し、発電効率の上昇しています。
コストの低下に伴い、太陽光発電の導入量は増えていきます。それを受け、2006年には一度、国からの導入補助金は打ち切られることとなります。

2009年、売電制度のスタート


2009年、余剰電力買取制度(売電制度)がスタートします。
この売電制度は、売電する側に損失の出ない買い取り額が設定され、「設置コストを回収でき、回収後は収入源にもなる」という点が注目されました。
売電制度のスタートと同時に、2006年に廃止となった補助金制度も復活され、2014年に廃止されるまで続くこととなります。
この制度をきっかけにして、一気に家庭用太陽光発電の普及が進み、システムの販売業者も増加していきます。

2011年、東日本大震災


東日本大震災と、それに伴う福島原発の事故は、太陽光発電の普及を加速させる一因となりました。原子力エネルギーからの脱却が重要視されたことに加え、福島の農家が一斉に農地を活用した太陽光発電をスタートさせたというのもあります。
また、同年には太陽光発電導入の補助金に「キャップ制」という仕組みが新たに追加されました。これは、補助金の対象を一定の設置費用を下回った設備のみに限定するもの。太陽光発電の普及を目的としています。

2017年、FIT法の改正


2017年、太陽光発電設備の増加のため、売電価格を一定額保証する目的で制定されていた「固定価格買取制度(FIT法)」が改正されました。
改定に至ったのは、国が想定していた以上に太陽光発電が普及したという背景があります。FIT法の施行以降の太陽光発電設備は、年平均伸び率29%という驚異の数字をたたき出しています。
FIT法の原資となったのは、家庭の電気料金に上乗せされる「再エネ賦課金」です。この「再エネ賦課金」は、太陽光発電の急激な普及により、5年で10倍の額に膨れ上がりました。これにより、家庭の負担額は1家庭毎月792円(300kWh/月)という数字になり、この事態を危惧した政府は、FIT法の改正に踏み切りました。

太陽光発電の現在とこれから

現在、住宅用太陽光発電の導入は、利益目的から環境への配慮、または災害対策へとシフトしています。
世界各地で見られる気温上昇や海面の上昇など、地球温暖化を受け、2015年にパリで合意された「パリ協定」を始め、世界的にも環境保護への関心は高まっています。
その中で日本は、経済と両立させながらも、CO2の低排出型社会への実現を目標としています。世界的に推し進めるクリーンエネルギーへの普及を受け、太陽光発電に対する国民の関心も高まっています。
また、近年は毎年のように日本各地で地震や水害による停電被害が見られ、「太陽光発電と蓄電池を活用し、万が一の事態に備えたい」というニーズが高まっています。
東京だけでなく、日本各地の自治体においても、新築住居における太陽光発電システムの設置義務化が進められており、今後、太陽光発電はますます広く普及していくと思われます。

まとめ

今でこそ当たり前となった太陽光発電ですが、実用化や普及には、多くの困難がありました。
日本はもともと資源が乏しく、エネルギー資源に関してはほとんどを外国からの輸入に依存してきました。しかし、世界情勢の変化に伴い、化石燃料の価格が高騰するなど、再生エネルギーの導入が急がれる背景があります。
オイルショックや大震災、原発事故など、数々の危機に直面してきた日本人だからこそ、太陽光発電に注目が集まっているとも言えます。
今後も国や自治体が推し進める太陽光発電の動向に、注目していきたいところです。

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